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【五島列島観光スポット】宇久島の神浦のガード下を移住者が語る。[協力隊レポ]

2021.10.29

こんにちは!宇久島地域おこし協力隊の栗原です。

今回は「神浦のガード下」。
それを語る移住者とは自分です。
宇久島にもガード下(高架下)と呼べるところがあるんですね。
まだ宇久島の歴史を深くは知らない自分の視点にはなりますが、観た時の感想をまとめてみます。


宇久島の神浦地区のガード下の場所と情報

▼「神浦のガード下」の場所はこちら

▼「神浦のガード下」の情報

  • ガード下の通路は未だに公的に現役で使われている。
  • 昭和初期に描かれた壁画(ポスター、広告)が残っている。
  • 壁画は、壁面に塗料で直書きされている。

以上の情報だけでも僕は色々思うところがありますね。
それは次項から感想と交えてまとめます。

宇久島の神浦地区のガード下を訪れて思う事


公の場で昭和初期の壁画が見れるのは珍しい。

ここは特に管理されている場所ではありません。
普通に誰もが通れる公的な通路です。

そんな場所に昭和初期の壁画が残っている。
看板や彫刻であれば残っているものもあると思いますが、この壁画はペンキの様な塗料で描かれたもの。
これってすごく珍しいなと思います。


当時の島民の交流を思う。

僕個人的には、ガード下と聞くと都会にある「電車の線路の下」という印象。
つまりは、人が集っている場所という印象が強いです。

では、この神浦のガード下は?と繋げると…
現在はそんなに人通りもありませんけど、当時は人が集っていた場所ではないかと思うのです。

宇久島内でも、多くの人の視線が集まっていた場所。
そうでなければ、こんなに壁画は描かなかったはず。
と、当時の島民の交流を思うと、ここで感じる空気もまた変わってきますね。
僕はそのままを観てその場で感じる事に意識を向けるのも好きですけど、観る視点を変えたりするのも好きです。

もう1つ例を挙げると、当時と現代を繋げて観てみるのも面白い。
このガード下、現代で言えばテレビCMだ!
なんていう様に。

僕にとって観光スポットをただ観るだけにせずに、楽しむ方法の1つとしていますね。


剥がれ落ちそうな壁画を切なく思う。

壁画のほとんどが、触ればすぐに剥がれてしまいそうなものばかりです。
なのでおそらくですが、これまでにこの壁画を保つために、補修は何度かされていると思います。

とはいえ、昭和初期当時そのままの面影が残っている。
このまま残ってて欲しい…

かと言って、がっちり管理されてしまうのもどこか寂しい。
良い対処方法が見つかりませんが「大切にして欲しい」と思いますね。


まとめ:大切にしたい昭和初期の壁画

大切にしたい、と思わされるなんて、ここに来る前には予想もしなかったです。
あなたは何を思い、感じますでしょうか?

こちらの記事では僕とは全く違う視点で書かれていますね。

是非、訪れてみて下さい。

お読み頂きありがとうございます。
宇久島地域おこし協力隊の栗原でした。

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