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二つの名前がある神社!?山の麓に佇む歴史古き神社を調べてみました。

2022.09.21

二つの名前

宇久島の中央にそびえる城ヶ岳。ふもとからはトレッキングロードが整備されており、快適な森林浴が楽しめます。

そのトレッキングロードの始発となる場所が城ヶ岳のふもとにある山本神社という神社。別名妙見神社とも呼び、どちらの名称も正式名称のようです。実際、神社内に鳥居がいくつかあるのですが、鳥居に掲げられている表札(扁額へんがくといいます)も、山本神社、妙見神社、とそれぞれ付いているものがあります。

なんで二つも名前があるんだ?素朴な疑問を持ちましたので、色々と調べてみました。

山本神社(妙見神社)

祭神:天常立命(あめのとこたち)

文治3年 平家盛公建立

妙見神社

先ずは妙見神社。妙見信仰というのは星を神様として崇めるもので、色々なお導きがあると信じられている信仰だそうです。宇久の妙見神社は正式には「妙見宮」と言うようで、扁額にはそのように表記されています。

妙見信仰は唐の時代に中国で流行していた信仰の一つだそうです。

宇久には円仁が「入唐求法巡礼記」という書物で島に立ち寄ったと書かれているのですが、この書物に妙見信仰が唐で流行っていたことが記されています。唐の時代に既にこのような思想は宇久に入ってきていたかもしれませんね。

その後、中世に入り平家盛公が宇久島に漂着。島内に様々な寺社仏閣を築いていきます。そのうちの一つが妙見神社。

この妙見信仰は菩薩(妙見菩薩)様を崇めており、ご利益としては一族の結束を強くしたり、守ったりしてくれるそうで、平家盛公も平家が離散してしまったことを想って宇久島に妙見神社を開いたのかもしれませんね。

社殿を彩る木彫りは一つ一つが緻密に彫られており、厳かな雰囲気がひしひしと伝わります。島民の方からは「昔はこのような細工ができる程手先の器用な大工さんが多かったんや」と聞きました。

手元にある宇久島の資料では明確に「妙見」と付いた由来・理由は見つかりませんでした。しかし妙見信仰について調べていると、星に対する信仰というよりは家系の結束や武神(武神信仰もある)に対する祈願の為に造られたのかと思います。(一個人意見ですみません)

山本神社

次に山本神社。

古書によると文治3年、平家盛公が宇久へ上陸した折、妙見神社を建立したと書かれており、その際に祭典や造営費については藩の費用にて行われたそうです。廃藩後は山本地区の人たち(郷民)が祭典・造営費等を継いで今に至ります。

尚、現在ある社殿は昭和36年に立ちました。

こちらの名前の由来としては山本地区(郷)にある神社だから、山本神社。管理も山本地区の方々が歴代なされてきており、社殿だけでなく境内で育っている植物も非常に綺麗。秋から初冬にかけて紅葉が見ごろを迎える見事な景勝地です(宇久の数少ない紅葉スポット!)。

社殿を振り返って鳥居越しに見える景色も絶景です♪遠くに平戸・生月を眺めることができます。鳥居周辺に植えられている黒松の名勝としても親しまれています。

神社の裏から続く城ヶ岳トレッキングロードは昔の伝令用の道だったともされ、見張り台であったと言われる城ヶ岳からこの山本神社が本部だったとも言われており、その痕跡を辿りながら登山してみても面白いですよ。

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