【五島列島の神社仏閣を観光】宇久島の歴史ある東光寺を移住者が語る。[協力隊レポ]
長崎は五島列島、最北端に位置する宇久島。
そこで外せない※神社仏閣の中の仏閣のひとつ、東光寺。
宇久平港フェリーターミナルからもそこまで遠くない位置にあります。
来島されたなら、必ず訪れておきたい場所。
それを語る移住者とは恐縮ながらも自分のこと。
宇久島地域おこし協力隊の栗原よりレポートさせて頂きます。
※神社仏閣とは、「神社」は神を祀っている社(やしろ)建物で、そのまま神社のこと。「仏閣」とは仏を祀っている閣(たかどの)建物で、お寺のことです。
宇久島の東光寺の場所
▼東光寺の場所はこちら
このグーグルマップで調べると、フェリーターミナルから550m程、徒歩7分くらいとのことです。
【東光寺の情報】見どころ、押さえておきたいポイント。
宇久島の東光寺は菩提寺として平家盛が建てたと言われている。
1185年の壇ノ浦の戦いで敗れた平家盛公は安住の地を求め、宇久島に来島したのは1187年。
東光寺は1187年に平家盛公が建てたと言われています。
来島した年にお寺を立てるってすごいですね。
家盛公もこの地に身をうずめる決意をしていたことを感じます。
因みにこのお寺の開基(要するにスポンサー)は平家盛で、開山(初代住職)は天甫存佐大和尚とのこと。
(和尚さんの名前は何て呼べばいいのか分かりません)
そして菩提寺とは、先祖代々のお墓があるお寺のこと。
菩提とは、「悟りの境地に達する事」「目覚め」「冥福」の意味があります。
一切の苦しみから解き放たれ、悟りを開けますように(目覚められますように)…と、冥福を祈る場所ですね。
加えて、東光寺は神社ではなく、お寺。
神社は神を祀っているところで、お寺は仏を祀っているところです。
東光寺は仏を祀っていますので、お寺ですね。
境内(敷地内)に神社がありますが、それは後述します。
沖縄を思わせる、特徴的な赤い門。
この赤に、沖縄っぽい…と思ってしまいました。
目を引きますね。
お寺の仕組みで言えば、ここは入口「山門」でしょうか。
ここから先は仏の国で心が清められると言われています。
境内にある神社。
赤い門をくぐって右手に鳥居があります。
という事は、ここに祀られているのは仏ではなく神で、この建物は神社でしょうか。
お寺の中に神社といっても、珍しい事ではありません。
奈良時代(710~794年)から「神仏習合」という神々への信仰(神道)と仏教を融合させた信仰方法が幕末(1853~ 1868年)まで続いていました。
明治政府が打ち出した「神仏分離」という政策(1868年)で、神道と仏教をはっきり区別する様になったものの、長い歴史のある「神仏習合」は失われずに残ったという事です。
この東光寺は1187年に建立。
(鎌倉時代になるのでしょうか?)
その時代の神仏習合の名残りがここにあるという事ですね。
今も現役?の梵鐘がある。
「梵鐘」とはお寺にある、口径一尺八寸(約54.5cm)以上の釣り鐘とのこと。※1
この鐘が鳴らされている様子を僕はまだ見たことがありませんが、見るからに現役の様です。
間近で見ることができます。
迫力ありますね。
元々、寺の鐘は時刻を知らせるものと言われています。
「時」という漢字は寺の鐘から生まれたなんて話もありますね。※2
太陽「日」の動きを「寺」で見て鐘で時刻を知らせたことから、「日」+「寺」=「時」という感じで。
調べてみると面白いです。
※1:梵鐘について参考にしたサイトはこちら
※2:時という漢字について参考にしたサイトはこちら
本堂の東側には大きなお地蔵さん→子安弘法大師。※
※記事公開時には以下の様に記載していました。
本堂を正面に右手の方に、大きなお地蔵さんがおられます。
お地蔵さんの正式名称は地蔵菩薩(じぞうぼさつ)。
菩薩とは悟りを求める修行中の人のことで、仏様の種類の中の1つです。
これだけ大きなお地蔵さんがあることを思うと、仏教の信仰が深かったことが伺えます。
が、これには誤りがありました。
こちらの像は、お地蔵さん(地蔵菩薩)ではなく、子安弘法大師とのことです。
子安弘法大師とは、空海(774-835年)のこと。
平安時代初期の層のことで、真言宗の開祖になります。
因みに東光寺は曹洞宗で宗派が違います。
この子安弘法大師は東光寺の境内の外にある様なので、東光寺のものではなさそうです。
とはいえ、宗派は違えど仏教の信仰が深かったことは伺えますね。
本堂の中には、釈迦牟尼佛、閻魔大王、その他多くが置かれている。
東光寺の本尊は「釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)」。
本尊とは、信仰の対象として最も尊重されている中心的な仏像のこと。
釈迦牟尼佛とはお釈迦様の別名です。
また、「釈迦牟尼仏」というワードを見かけますが、東光寺は「釈迦牟尼佛」。
仏と佛には違いがあるようです。
仏は「イ→(人)、ム→(~である)」という意味、佛は「イ→(人)、弗→(~でない)」。
つまり佛は「人ではない」という意味があると判断できます。
僕としては「佛」と書くことがふさわしいと思いましたね。
と、1つの仏像でも色々勉強させて頂きました。
その他、本堂には閻魔大王や迦葉立像(かしょうりゅうぞう)、阿難立像(あなんりゅうぞう)、他にも色々置かれています。
が、ここでは写真は割愛させていただきたいです。
参拝の際にじっくり見ていただきたいと思います。
本堂の裏には平家盛公のお墓。家盛以下七代の慰霊碑がある。
本堂の裏には見逃せない平家盛公のお墓があります。
でも、鎌倉時代当時の様式をそなえたお墓は無く、実際にどこに葬られたかは不明。
初代から7代までの名前が刻まれた1つの石碑があり、江戸時代後期につくられたとのこと。(宇久町郷土史より)
何百年も経ってから、慰霊碑を作ったわけですね。
言い伝え力と言ったらいいか、人と人を繋ごうとする意識の高さを感じます。
結局のところ僕は、平家盛の存在と繋がることができましたし。
宇久島では言い伝えを多く見かけます。
三浦神社の伝説もそうですね。
▼こちらの記事を見てみて下さい
⇒持ち帰ると大嵐!?島に伝わる伝説の大ソテツ
その他関連情報:
平家盛と一緒に来島したと言われている「藤原久道」のお墓は他の場所にある。
1187年に平家盛と一緒に来島した藤原久道。
※上記写真の右側。この像はターミナル北側にあります。
その藤原久道のお墓は東光寺からは離れたところにあるのです。
「藤原」の文字は確認できました。
一般の方のお墓も隣にあるところでしたね。
何故に平家盛のお墓から離れたこの場所なのでしょう?
もっと宇久島を知っていけば見えてくるのでしょうか。
もっと日本の歴史を知れば見えてくるのでしょうか。
そう思考すると、観光する楽しみが膨らみますね。
最後に…
東光寺は焼失して再建された情報もあります。
焼失も1つの歴史だと僕は思います。
存在としての歴史は1度も消えず今も続いているのです。
1187年から数百年以上の歴史を持つこの寺で、参拝されてみてはいかがでしょうか?
宇久島地域おこし協力隊の栗原でした。